巻頭コラム
「電通大と私」
菅野 淳(電通大技術士会 会長、技術士:情報工学)
私の大学時代はワンダーフォーゲルのクラブ活動の印象が大きく、丹沢の新人練成、南アルプス縦走や、北海道十勝岳縦走などで2週間ほど縦走したことが思い出されます。
卒論は新任の石田晴久助教授(当時)で、アメリカ留学から帰って来たばかりの先生で、UNIXやC言語を日本に初めて紹介した先生です。
石田先生は卒論の途中で東大に転任され、私の卒論「人口口蓋を用いた音声認識」では東大医学部の計算機(DEC社のPDP9)を使用しました。
私は電通大を1971年に卒業後松下技研に就職し、コンピュータの設計やOS,言語の研究をしました。
1983年に日本語プログラム言語を発表し、この商品化で安田耕平氏(現、キャンパスクリエイト社長)達のお世話になりました。
ここで、電通大の大学院の学生諸君に手伝ってもらい、パッケージソフト「和漢」が国際データ機器株式会社から発売されました。
それから30年を経過して、電通大技術士会の関係で調布に立ち寄ることが多くなりました。
電通大技術士会は、大学や社会への貢献を目的として2013年秋に設立され、現在会員が30名ほどです。
技術士は技術士法で定められた厳正中立な職業倫理を遵守しており、電気電子、情報工学、機械等の様々な専門分野の会員がおります。
大学との共同研究支援や、最近話題の産業界や大学での不祥事件に対する「倫理教育」の支援などにも取組んでまいります。
本格的な活動はこれからですが、電通大技術士会のご支援よろしくお願いします。